仕事は仕事と割り切れますか?

思い起こせば、同じような仕事を10年以上やっているような気がする。マイナーな部分での進化や場合によっては退化している部分もあると思うが、ほんの少しだけ高い視点から見れば、同じことをずっとやっているといっても過言ではない。そういう意識は、かなり前から持っていたのだが、今まで流されそのまま継続している。何か違うことをする情熱も無ければ、既存の知り尽くした環境から飛び出す勇気も無かったのかもしれない。

今日、あまりにも単調な作業を強いられる状況に陥った。これは別に今日始まったことではなく、あるタイミングで必ずやってくるものである。そんなタイミングを、ここ2年くらいで何回こなしたか、もう数えることもできない。さらに、ここのところやたらとプロセス化の道を推進するあまり、非常に細かいところまで文書化、正規のプロセス化されてしまい、何もかも一通り同じようにやらねばならない。そうしないと、どこかの工程でスタックする。ショートカットしようとすれば、どこかで止められ、余計に時間と労力を費やすことになる。

こういうことをするメリットの一つは、ある必要とされる知識を持つ人間がある日突然全員、あるいは大多数がいなくなったとしても、事業の続行に問題を起こさないことであろう。事業を営む団体において、従業員が多数入れ替わるような状況になった場合にも、沈みや停滞を最小限に抑えることができるであろう。が反面、人間がマシーン化する状況が避けられなくなり、プロセスが原因で思考する人間が現象する傾向に生ずる。さらにいえば、確立されたプロセスを「No」というための道具として使うということも間々起こりがちであると思う。

そんなこんなで、ものすごーくシンプルな、私が思うにボタン一個押せばすべて終わるようなことをやるために、馬鹿みたいにたくさんの書類やらフォームやら承認プロセスやらを経なければならなくて、本日ほとんど丸一日それで終わった。気がついたら夕方の5:30になっていて、なんともいえないドンヨリした気分になった。もしかしたら、もう折り返し地点に来てしまったかもしれない人生の貴重な時間を、猛烈に非生産的な行為で浪費した気分になった。そう思うと、何もかも否定したくなってきて困った。

それでも時間だけは刻々と進み、もう20時になろうとしている。明日はなんということか朝の6時から仕事である。こんなことでいいのだろうか?と真剣に考えさせる一日であった。今日は私の浪費記念日。